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第11話:忍者の城下町川越城の姫だったはずの祖母を誇りにしていた母の偉大なる愛 - お母さん60年間ありがとうございました。母への最期の記録です。

第11話:忍者の城下町川越城の姫だったはずの祖母を誇りにしていた母の偉大なる愛

7月 19, 2020後悔の1日

服部の姓(服部半蔵の子孫)をもつ祖母の苦難と母の誇り

脳_前頭前野

母と祖母の他人に対する思いやりの強さが心に残ります。

 
この話を聞いたのは私が成人を過ぎ25歳だった記憶があります。
 
明治維新が無ければ、おばあちゃんは川越城のお姫様でいたはずの人なんだよ。
 
でも一庶民になってからの生活は激動で、
結婚後、母が生まれてすぐに、
おばあちゃんは、家同士の政略があったようで、無理やり離婚させられて、新しい家に嫁がされたのでした。
嫁いだ先は先妻と死別をした直後で、
お互いが子連れという複雑な家族構成になりました。
 
そこからの母の人生は20歳を迎えるまで、まるで奴隷のような扱いでした。
学校にはほとんど行かせてもらえず、
朝から晩まで毎日、畑作業を強制させられていました。
 
そのうえ、義理の父とその連れ後(男女1)により凄惨ないじめを毎日受けていました。
 
そんな母、
この事実を私に語ったあとも憎しみや、
怒りの言葉は吐くことはありませんでした。
そんな思いをさせた母の子供である私に対して、
おばあちゃんは私の事を特に愛してくれました。
 
この時期から、おばあちゃんと母だけは生涯離れず、大切にしよう。
一緒に暮らそうと決意しました。
 
私は運よく、
妻も二人の子供たちも母との同居生活に賛成してくれていました。
 
 
その後、
おばあちゃんの家では、人間性が足りない家族だったため、
おばあちゃんの最期も病院で幕をとじました(享年92歳)、
 
逝去直前の2年間は(730日)、のうち700日以上病院に面会に行き、体中をさすってあげていました。
その2年間、実家の人間は一度もおばあちゃんの面会には訪れた形跡がありませんでした。
 
 
いろいろな事を通じ、
私はおばあちゃんと、母に感謝しています。
 
人の心の痛さをよく知り、困っている人には特に優しくすことの大切さを、血を通して受け継ぐことができました。
 
私は本日2020年7月19日墓参りにいってきましたが、母の実家から数分の場所にあるお墓に、墓参りを頻繁にしている感じはありませんでした。
 
私たち人間は何のために生まれてきたのか?とよく考えることがありますが、
 
再度深く考え、
わが人生悔いなし!
を目指した生き方を死ぬ直前までして、
ホット息をつき、喜んで死んでいく毎日を積み上げていこうと思います。
 
 
 
あんな、こんなで、
いろいろ考えさせられていますが、
今回の病院と医師が行った行為を許す気持ちは、まだありません。
 
 
 
60年間毎日ともに過ごした実母の命を虫けらのように扱った行為を許しません。
 
まだ病院からの公式なコメントとしてのエビデンスでの報告はありませんが、
 
 
私は、
その瞬間に全ての意思決定を行います。
 
すべての実名と死の当日の時系列の事実確認資料は用意ができました。
 
 
 
私はまだ未熟ですので、
おばあちゃんや、母のようにすべてを包み込んで許すという心ができていませんので、
やられたらやり返す!
 
を実名で実践してしまうはずです。
 
 
 
 
最後に、
私はおばあちゃんと、母から
 
笑顔
優しい心
エクボ
 
リダーシップ(ボス的)
即決力(スピード)
 
を血を通りて受け継ぐことができました。
 
 
幸せです。